2023年12月3日日曜日

ばかだわ

友達なんて今更いなくていいんだけど、生きてる限り人と関わりながら生きなきゃいけないんだからその必要最低限の浅い関わりを円滑にしたいだけなのにそれができないの、昔から。

昔から。もうずっとわたしそこでいつも悩むの、知ってるでしょ。あーはいはいお察しwでしょ。

親しい間柄ならうまくやれるのにどうしても浅い関わりの人たちとはうまくできなくて嫌われる。ひどいコミュ障。みーんな私がコミュ障で友達いなくて変な人で感じ悪いって思ってるし実際そうなの。

下手に喋ろうとすると上手くいかないんだから、喋ろうとせず余計なこと言わず相手を気遣いながら挨拶と相槌と表情に気をつけていれば良いんだと思う。はい、がんばりま〜す。

2022年9月16日金曜日

数年ぶり、でもなかったか

自己肯定感を高めるってさ、

自己愛とか自尊心とかとはまた違うベクトルにある気がしてならない。どちらかと言うと、受容することというか、諦めることというか、自己への執着から少し離れること…と言うようなものの方が近い気がする。私にとっては。

自分って素晴らしいね!

よりは、

自分でもいいんじゃない?

の方が健全では?


自己に対して少しフラットでいられる事が、揺らぎにくい自己肯定感に通ずるのではないのかしら。知らんけど。


寝よ寝よ。

2021年4月29日木曜日

久しぶりに。

あらやだ、もうすっかりおばさんになった私です。

膝とか足首とか関節が痛みがちよね。やぁね


最近は、くだらないことはかなぐり捨てた環境で穏やかに過ごせています。でもきっとこの先、今捨てていられてるものをまた拾ったりするだろうね。そんでしがらみに絡まれてやになってわちゃわちゃ生きていくと思う。それはそれでま、いっかと思ってるけど。


さーて、絵でも描こうかな。

2020年5月31日日曜日

本気出すってこと

腰を据えて本気で何かに毎日取り組む、ということがいささか、いや、かなり苦手になった。自分という人間は昔からそうだったと思う。でもそれは歳を重ねるごとにより一層酷くなるばかり。
ここへ来て、残りの人生の中でもう一発だけでもいいから本気になりたい。それは生活のためと、自分自身のためである。

何かに対して日々一所懸命でいられることというのは確実に人生を豊かにすると思うし。

モチベーションのあげ方なんて、昔からずっとずっと掴めなかった。
むしろモチベーションを自在に操れる人なんて少ないはず。
けど、それでも足掻きながらみんな何かしら努力をしているんだ。なんとかしたいなぁ。幸せになりたいのだ。

2018年11月4日日曜日

七五三

カラフルな着物を着つけられた女の子を朝の通勤中に見かけた。
お母さんとおぼしき人に手を引かれて
歩きにくそうにゆっくり歩いていた。

するとふと思い出した自分の七五三の記憶。
私は今朝見たその女の子のような着物を着て大泣きしていたのだった。
母は着物が苦しくて機嫌が悪くなったのだねと言っていたから、
その当時私もそうだったのかな?と思っていたが、
よくよくあの時の事を考えると母の言い分にひっかかりをおぼえる。
違う、私が7歳にしてあんなにも泣いたのは着物のせいだけじゃない!
なぜだっけ?
そうだ、自分が見世物のように思えて怒っていたんだ。

着物で身体を縛り付けられてただでさえ面白くないのに、
私は笑顔を強要され写真を撮らなければいけなかった。
それがとても不快だったのに、ジジババ連中は喜び
わたしを見てはニコニコしてくる。
だから私はもう赤ちゃんでもないくせに、大声で叫んで泣いた。
そして唇の真ん中にだけ紅を落とす化粧も気に食わなかった。
唇全体にぬれよぉ!って思った。

七五三の意味も、我慢してニコニコする意味も
自分の気持ちに反してみんなは笑っている意味も、
わたしには分からなくて。
分かっていない不機嫌な私を大人たちが
生ぬるく嘲笑ってるかのようにも思えてしまった!

成長を祝福したい気持ちも
その節目を記念に残したいという思いも、
愛も、
愛ゆえにかけるお金も。
子供心には迷惑に感じて感謝する対象にすらなれない。

だって子供なのだから。

祝い事なぞは大抵大人の気持ちを中心に作られた事であるのは確かだ。
自分が大人側に立ってみても、祝い事は苦手であるが。

自分が親になれるかは分からないけど、
もしなったとしても、子供の立ち位置からの気持ちは
なんとなくでいいから忘れないでいたい。

2018年10月25日木曜日

選択

人生は一度きりだから自分のやりたいようにやろうよと、
昔からそう言うセリフあるじゃない

そんなん言われなくてもそりゃそうさって話。
みんなそう思ってるさ私だってそう思ってるさ

だからやりたくないことはできるなら避けて
でも、やりたいことだけやってても生きていけないから、

みんな大なり小なりを決めて取捨択一してくの。

お金が欲しい>働きたくない=仕方ねえから会社行くか

みたいなね。


そうやって、優先順位決めて生きてるんだけどさ、
でもわからなくなることってあるじゃない。
どっちも優先したかったり、複雑に事象が絡んできたりさ。

そう言う時の選択の仕方
難しくて悩むんだ
一度きりの人生だからさ

なんか抜け道がないかなーとか目を凝らしてみるんだけど、
やっぱそんな甘いことはないから、
何かを犠牲にするんだ。

2018年10月6日土曜日

いい大人さん

私が今までやってこなかった事は、
社会性を身につけようと努力すること。

社交性とはまた違う意味だ。
私の意味する社会性とは、コミュニティの中において
自己も他もcomfortableな関係性をさっさと築いておく能力のこと。

そのせいで生きづらく感じることが昔から多かった。
なのに、この歳になっても努力を怠って放置してしまった。

自分が傷つきたくない>>>他者の気持ち
という根本が覆せずにいるせいで他者から評判が悪くなり
かえってそれが自分を傷つけてきた。いつだってそうだった。

もはや自分から他人に歩み寄る方法がわからない。
他人からのリアクションを待つしかしたことがなかったから。
でもね、私は自分が悪いことに気づいているんだから、
やり方がわからないなりにやっていくべきだろう。
いい大人さん。